2022年06月12日

大久保利通旧邸茶室「有待庵」の来歴に関する史料について

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追記:2022年7月5日(火)京都新聞 夕刊一面に掲載頂けた報道についての詳細と補足を以下に。
改めて、関係者皆様に感謝致します。
原田良子
 
<発見と保存>
 2019年5月9日に「大久保利通旧邸」石碑(京都市教育会 大正2年)がある敷地建物が取り壊し中であることに気づいた筆者はその場で茶室が残されていることを確認した。
 京都市はただちに調査に入り、有識者からの提言もあり幕末史に関わる重要遺構「大久保利通の茶室」として保護し、移築保存することを決定した。現在、部材等は京都市のもとに保管されている。
 この旧邸は大久保家の記録によれば慶応2年春から4年6月まで利通が居住し、その後、人手にわたっていたが、三男である大久保利武が大阪府知事時代の大正3年に買い戻したものである。
 この経緯は昭和17年に利武が「有待庵」と名付けられたこの茶室で行った講演録『有待庵を繞る維新史談』(同志社、昭和19年)に詳しい。講演の中で、この茶室は政治的密談に使われたことを紹介している。また、入手の経緯も述べていて、建物は大工の見立てでは100年以上前の普請であると紹介し、「昔のままに維持されて自分の所有に帰した」ことを家にとっても幸せなことであったと回想している。
 また、講演録は利武の没後刊行された。息子であり日本近代史学者であった大久保利謙が講演録に添えた跋文には「入手当時は既に荒廃しておりましたが、その修繕にも勉めて旧態の保存に心懸け」とある。
<紹介史料>
大久保利武書翰大久保利武書翰 今回、国立国会図書館憲政資料室所蔵の「牧野伸顕関係文書」の書翰の部413-19に大久保利武が次兄の牧野伸顕にあてた私信があり、その中で旧邸購入について言及されている。先述の講演録にあった入手経緯を具体的に物語る史料である。日付は3月3日付けで、文中に「一両日中ニ手ツヅキ相済可申」とある。旧土地台帳で確認できる所有権移転の日付は大正3年3月4日なので、手紙の文言通りに登記が完了している。つづいて、
「多少手ヲ入レ、成ル可ク、御住居当時ノ旧形、其侭ニ保存為到度、存居候、幸ニ、手ヲ入レナハ、旧時ニ復スルコト相叶候事、ト存候」
(多少手を入れてなるべく御住居を当時の旧形のままに保存したいと思っています。幸い手を入れれば旧時の面影に復することが叶うと思います。)
とある。
 利武本人が講演で述べた「昔のままに維持されていた」という文言や利謙の跋文にある「旧態の保存」に心がけたという記述を完全に裏付ける史料である。
 なお、この史料を引用した研究として松田好史「『歴史家』大久保利武」(『大久保家秘蔵写真―大久保利通とその一族―』国書刊行会 2013年)がある。歴史研究者としての利武の業績をまとめたものである。上記で紹介した部分は、松田氏が翻刻引用された部分の直後にあたる。
 松田氏の引用部分は、親戚に金策をしてまでも父の旧宅を史跡として残そうとする利武の姿勢を評価するために引用されたものであり、書翰全文は紹介されておらず、原文の画像も掲載されていない。
 茶室の現存が確認され、京都市が保全するされるにあたっては、松田氏が引用された部分の直後にあたる今回紹介した部分が重要となる。
 手紙は、かつての建物を知っている兄弟間のやり取りで、その中で「旧形」を「そのまま」に保存することを目的に修繕をおこなうということが綴られている。兄弟間のやりとりで嘘や誇張を述べる必要は全くない。
 ここから、大久保家に残る修繕直後の茶室写真の形状は、利通居住当時の茶室と考えて問題がないことがわかる。
 さらに、発見された現存茶室は間取りや吊り床、建具の形状などからみて写真当時の旧状を保っていることがわかる。
 私見ではあるが、現在保管の部材をもって移築再現する場合は、この大久保家に残る写真に限りなく近づける形でなされることが、大久保利通旧宅茶室としてふさわしいように思う。
 なお、現存茶室は大久保利通旧宅茶室として保存されたものである。近衞家別邸「御花畑」の茶室を譲り請けたものであるということからの保存ではない。この大久保家の家伝については、さらなる検討が必要である
<まとめ>
  • 大正3年3月に大久保利武は、父利通の旧居を当時の姿を残したまま入手した。
  • 現茶室は大久保家に残された写真から、利武が入手した当時の形状を残していることは明らかである。
  • したがって、今回の史料は現茶室建物が基本的には利通居住当時に存在していた茶室を受け継ぐものであることを示す史料である。
  • 今回、紹介した史料については、2022年1月に原本写真版を所蔵先より取り寄せた。管見の限り、現時点で画像・全文翻刻とも公刊はされていない。
  • 京都市が「大久保利通旧邸の茶室「有待庵」」と判断し、保全をされたことに改めて感謝したい。
(謝辞)当書簡の取り寄せや解読で国際日本文化研究センターの磯田道史氏のご協力を得た。感謝の意を表したい。
※書簡掲載については国立国会図書館に許可済みである。
posted by 原田良子 at 10:32| 日記