2019年07月06日

大久保利通の茶室「有待庵」、市有化へ(皆様の善意のおかげで)

大久保利通の茶室「有待庵」は、所有者のご意向で京都市へ寄附譲渡されました。
大久保利通の茶室、京都市が所有方針 市有地に移築し公開へ (2019年5月30日 京都新聞) 
有待庵の現存を確認できた5月9日(木)から約3週間後に 所有者、京都市、関係者皆様の善意のおかげで移築保存の道が開けたことは異例であり、誠に喜ばしく、感謝でいっぱいです。
今後、市有化された有待庵が移築復元された後、一般公開される予定で、子どもたちや修学旅行生が維新の現場に直接触れ、歴史を学べる機会として活用されればこんなに嬉しいことはありません。
このニュースは新聞媒体、NHK京都放送局などにより広く報道され、
今朝の『天声人語』(朝日新聞 全国)も有待庵を取り上げて下さいました。
天声人語.JPG
(天声人語)密談と茶室 ← こちらからもご覧頂けます。(朝日新聞デジタル:有料)

■それは大久保利通の命日前後のことでした。
かねてから研究対象であった「有待庵」を、大久保利通旧邸跡の住宅地解体現場で現存確認できた5月9日は、せめて「記録保存」が可能になるようにと願い、翌日には京都市文化財保護課に調査に来て頂けるよう働きかけました。(決定した調査日20日(月)は所有者のご厚意で解体工事を4時間だけストップして頂けることになりました。)有待庵の現存が確認されたことは、5月14日(火)京都新聞により報道がなされました。奇しくも、その日は大久保利通の命日でした。

尚、大久保利通の茶室「有待庵」は、近衛家別邸「御花畑」(小松帯刀京都寓居・薩長同盟締結地)の茶室を貰い受けたとされていますが、筆者は2016年に、完全に同じかたちでの移築ではない ことを考察しています。(拙稿(「薩長同盟締結の地「御花畑」発見」(西郷南洲顕彰会刊『敬天愛人』第34号2016年)
それは、御花畑絵図の平面図を見れば一目瞭然ですし、大久保旧邸の間口の狭い町屋の奥庭の面積に、御花畑の茶室を全く同じかたちで移築することはそもそも物理的にも不可能です。拙ブログや、京都新聞 寄稿(2019年6月13日(木))においても書いていますが、御花畑の茶室が解体され、その部材で大久保旧邸の奥庭に合わせて改造され、有待庵に仕立てられたと考えています。
詳しくは、拙ブログ(5/14) 大久保利通の茶室「有待庵」現存を確認 もご参照下さい。
有待庵 現存確認 2019年5月9日.jpg
現存確認した有待庵(2019年5月9日筆者撮影) 
入口にはこのように伐採された庭木や廃棄物が高く積まれて、周囲からも中に入ることが出来ない状況でした。
有待庵 室内撮影 20190509 .JPG
有待庵 内部(2019年5月9日筆者撮影)
かろうじて開けられた小窓から右手を差し入れスマートフォンで撮影したところ、
以下の大久保家に伝わる古写真から把握していた間取りと同じであることがわかり、
有待庵は現存していたと結論づけました。
大久保家より 有待庵.jpg
「有待庵」(現 大久保家ご当主 大久保利泰氏ご提供)

■大久保利武の講演録『有待庵を繞る維新史談』(昭和19年同志社刊)より※講演は昭和17年催行。
大久保利通の三男 利武(当時、大阪府知事)は、父 利通が西郷隆盛や木戸孝允、岩倉具視らとの密談の様子を以下のように語られています。
「この旧宅に利通が引き移りましてから来客の出入りも多く、幕府からも終始眼を附けられ、時々怪しき者も徘徊し、戸外より立ち聞きする者もあり、警戒の必要もあるので、小松帯刀が京都を去り帰藩することになつた際、小松に請ふてあの茶室を貰い受け、人目に立たぬこの旧宅の奥に移し設けたもので、已に薩長連合の密談の際に用いられたものが、所変わり手其後も亦この旧宅に於いて、幾多重要なる国事の密談用に供せられたのは実に珍しく、貴重な使命を勤めた史蹟とも云うべきであると思ふのであります」(『維新史談』28頁)
講演録は、利武の息子 利謙氏(歴史学者)が引き継ぐかたちでは編まれ『維新史談』は完成しました。
利武が旧邸を手にいれるまでの間、旧邸は改築されていない様子が講演録にもあり、利通が居住していた当時のままで間口の狭い京町屋の敷地奥、面積の狭い奥庭に位置した大久保利通の茶室「有待庵」もそのまま残っていたと考えるのが普通です。
また、有待庵の東隣には当時から土蔵があり、現存確認時、土蔵は外壁で補強されていたものの内部はかなり古い土蔵でした。そのことからも、有待庵の位置は当時からほぼ変わらないと現時点で推定しています。
何より、利武自身が、この茶室は父 利通の茶室である。と語り、歴史学者の利謙もそれを引き継いでいます。
利武が父の茶室を全面的に解体し、全く別の形の茶室へ作り変えるでしょうか? 有待庵は父の茶室である。と利武が伝えていることが、今回の有待庵が大久保利通の茶室とする所以です。
もちろん、昭和時期に母屋と切断され単体となった有待庵の屋根や壁に手が入っていることは現存確認した時点で把握しています。有待庵が間取りはそのままで修理を重ねられていることも、京都新聞寄稿で紹介しています。

■人々の善意のおかげ
有待庵は文化財保護の対象ではありませんでしたが、とにかく調査をして頂きたい。と考えました。
市の調査により、有待庵の来歴である薩長同盟締結地「御花畑」邸(近衛家別邸・小松帯刀京都寓居)から譲り受けたとされる移築伝承を少しでも裏づけられればと考え、一点突破の思いで調査を実現して頂けるよう働きかけました。そして、市文化財保護課は動いて下さいました。
薩長同盟締結後 「御花畑」については、こちらの拙ブログも参照下さい→ 「御花畑」発見の経緯
有待庵の現存確認の初報がなされた後は、様々な方から有待庵について関心や心配を寄せられご連絡を頂きました。そのお気持ちは有難くも、筆者は責任をもてませんので、「有待庵については京都市へお願いします」とお伝えし、すべて京都市へと繋いでおります。(連絡については記録されています)
前提に、筆者は仲介者でも窓口でもありません、当初から研究の立場のみで関わらせて頂きました。
それが可能となったのは、
当初から有待庵保存へと京都市へ提言下さった歴史学者 磯田道史先生や
初報後に、有待庵の保存へと一歩踏み出してくださった京都市のおかげです。
そして、市有化として移築保存の道が開けたのは、所有者が京都市へ寄附譲渡がなされなければ実現していません。
このように、所有者や声をあげて保存へと動いて下さった皆様の善意のおかげで、有待庵は消滅を免れ残ることとなりました。
磯田先生のご見解、ご高説は、先生の読売新聞連載に詳しく書かれています。
「薩長密談の茶室 移築」(磯田道史の古今をちこち 読売新聞2019年6月13日)
磯田先生 をちこち 移築.jpg
以下、から全文がご覧頂けます。

■これまでの有待庵についての報道は以下です。(現時点でネット上でご覧頂ける記事となります)
(他、読売新聞も報道下さいました。ネット上でご覧頂けないので上記にはございません)
地元 京都新聞は初報から取材下さっています。
実際の記事は、京都新聞社 読者サービスカウンター でお求め頂けます。
京都新聞 掲載紙.jpg

■御花畑からの移築説について
2019年5月14日(火)には、筆者の寄稿が京都新聞に掲載されました。
「大久保利通 茶室 有待庵 歴史的価値と保存を考える」(尚、見出しの「御花畑」絵図と符号 は、京都新聞整理部の方が考えて下さいました)
京都新聞 御花畑絵図と符号 .JPG
内容については、改めて、紹介させて下さい。
京都新聞 阿部記者、関係者皆様にお世話になりました。有難うございます。

■おまけ
産経新聞 京人.JPG
6月17日(月)産経新聞 京都総局の「京人」にも掲載頂けました。
カメラマンでもあられた田中記者にひきだして頂けました。感謝です。(ドアップ失礼致します・笑)
(後日、修正あり)

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posted by 原田良子 at 01:16| 日記